こんにちは、karafuruです。
こどもが生まれる前、言われたことがあります。
子育て中はいろいろ言われるけれど、流されたり迷ったりしないでいいのよ。
自分が正しいと思ったら、そうすればいいの。
こどもはお母さん次第で幸せになるんだから。
そのときは「なるほどな」と思って聞いていました。
確かにいろんなことを言われるだろうし、情報もたくさん入ってくるだろうから、そんなときには迷わずに自分で決断すればいいんだな、って。
わたしがお母さんなんだもの。
生まれてくる子は、わたしの子なんだもの。
けれど、こどもが生まれてきてから、この言葉はだんだんと重くなり、わたしを縛るようになりました。
だって、どうやったってこどもを育てるのは「迷う」のです。
今日はそんな「迷うな」という言葉について考えてみました。
迷うな、という呪縛
寒い日に出かけるのは、寒すぎるからかわいそう?
いやいや、家にばかりいたら刺激が少なすぎてかわいそう?
・・・え?どっち?
1歳から保育園に通わせるのは、親と離れてかわいそう?
いやいや、保育園で得られる体験ができないことの方がかわいそう?
・・・え?どっち?
この絵本は?
トイレトレーニングは?
イヤイヤ期は?
授乳回数は・・・・・?????
出産前に想像していたよりはるかに多い周りの助言という名のプレッシャー、テレビや雑誌やインターネットにあふれている子育て情報、それらに触れずに生きることはできません。
そんな中で迷わずに自分の正しいと思ったことをすればいい・・・って、そもそも正しい子育て論が新米かーちゃんに確立しているわけがないのです。
よって決断できずに迷いに迷い、迷走を深めてさらに決断力が鈍っていきます。
ここにさっきの言葉が突き刺さります。
「こどもはお母さん次第で幸せになるんだから」
「迷わない」ことも「決断する」こともできないわたし次第で、この子は幸せにも不幸にもなっちゃうの?
待って、待って、そんな重圧待ってくれーっ!
迷う理由
それにしても、と迷いの森をさまよいながらわたしは思っていました。
迷っているのは、この子が幸せになって欲しいから。
今自分で考えているよりも、もっといい何かを見つけたくて探し迷っているのに、なんで迷っちゃいけないのだろうか?
いろんなこどもがいるのに、正しい結論なんて本当にあるのだろうか?揺るぎのない決断なんてできるのだろうか?
迷ってもいい、という解放
お母さん次第で、こどもが幸せを深めるというのは真実だと思います。
でも、それは「お母さんだけ」じゃない。
こどもを取り巻く、他の家族や先生、友達、飼っている犬、近くの公園・・・そういったすべてのもの次第なのだと思うのです。
だから、お母さんだけが「迷わずに自分で決断する」なんてこと、しなくていいのではないでしょうか?
迷いすぎるのは確かに辛い。
あっちにもこっちにも流されて自分を見失い、ある日風呂場で大号泣してしまったりするほど、辛い。
でも「迷うな」も乱暴すぎるし、「決断しろ」も厳しすぎると思うのです。
「ランチは毎日、麺にする」とか「服は毎日、同じにする」とか、そういうレベルの問題じゃなく、大切なこどもの明日がかかっているのです。
ぜんぜん迷わないはずがない。
ずばっと決断できるはずがない。
あれこれいっぱいギリギリまで考えて考えて、やっとたどり着く決断でさえ、まだ迷っていたりするのです。
迷うなって、簡単に言うな!
決断しろって、たやすく言うな!
そしてなにより、「お母さん次第」なんて、突き放したことを言うな!
わたしは、こどものためになら何度だってこれからも迷っていきます。
そしてわたしだけじゃなく、この子を大切に思うお父さんや、おじいちゃんやおばあちゃん、先生たちみんなで一緒に迷って決断しながら、未来に進んでいきたいと思っています。
それが、この子の幸せになるといいな。
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