昔から「自分の好きな色」を答えられないkarafuruです。こんにちは。
好きな花の色は黄色。
好きな靴の色は赤。
好きな絵の具の色は白。
そんなふうに、限定して聞かれればすぐに答えられる好きな色。
ところが「あなたの好きな色は?」と聞かれると、とたんに答えに困ってしまいます。
なぜなんだろう?
今週のお題を見て、今まで不思議と掘り下げなかったこの事柄を考えて見ようと思います。
今週のお題「わたしの好きな色」
好きな色がわからない
きっかけは、おそらくとても小さなころの小さな出来事です。
とてもきれいなピンク色のペンを見つけて、「欲しい」と口に出そうとした瞬間、母親が「こういう可愛い色は、お姉ちゃんに似合うねえ」と言いました。
わたしは次女で、木登りをしては洋服にカギ裂きを作るようなおてんばな女の子でした。
姉はおとなしくて細身の、今でいう女子力のあるお嬢さんタイプ。
可愛い色は、お姉ちゃんに似合う。
そうか。
ピンクは可愛い色で、可愛いお姉ちゃんに似合うのか。
じゃあ、わたしの色じゃないんだな。
なんとなく、そんな風に思ったことを覚えています。
別に否定されたわけではないけれど、それ以来、家族にはピンクが好きだと言わなくなりました。
とても澄んだ青い光を放つおもちゃを見つけたときも、「青は男の子っぽいわねえ」という言葉を先に聞いて、気に入ったと言えなくなったり。
髪留めの黄色が気に入ってつけようとしたら、「私の好きなアイドルの色が黄色なんだ!」と、先にたくさんの黄色いグッズを見せられて、黄色を自分から手放したり。
誰も悪気があったわけではないのですが、少女だったわたしはなぜか、そういったことにとても敏感でした。
「この色はわたしの好きな色じゃないよ」と言っているうちに、やがて本当に好きな自分の色が分からなくなりました。
空色の便せん
そんなわたしの心をとらえたのが、空色の便せんセットです。
中学で仲の良かった親友が、高校入学とともに県外の寄宿舎に入ったため、文通がスタートしました。
今のようにメールやらSNSがなく、携帯電話すらなかった時代。
遠い友達と頻繁に連絡をとる=手紙、というなんとも懐かしい昭和世代です。
たびたび文房具屋さんでレターセットを選んでいたわたしは、和紙で出来た空色の便せんに出会いました。
今でもあるのかな?しばらくレターセットを買いに行っていないので分からないのですが、クチュールという名前だったと記憶しています。
晴れた空、どんより雲、夕焼け・・・さまざまな便せんのセットで、たちまちとりこになったわたしは、毎週違ったセットを買い続けました。
たった一色で出来た便せんは、ひとつもありませんでした。
濃淡の美しい青や、ピンクに灰色を混ぜ込んだような、もはや何色か言い表せない不思議な色など、それはそれは美しい便せんでした。
空色の便せんに手紙を書いて、封筒に入れ、銀色の丸いシールで封をしてポストに落とすと、とても満ち足りた気分になりました。
あさってには友達の手に渡る手紙。
彼女もまた、きっとこの色を好きになるに違いない。
そう思うと、何年もその声を耳にしていなくても、友達の嬉しそうに笑う姿が目に浮かびました。
色の名前なんか知らなくていい
自分の好きな色が答えられないわたし。
でも、確かに好きな色があるわたし。
その好きな色に名前なんかつけなくていい。
しいて言うなら、テレビに映し出された「宇宙から見た地球の色」が好き。
青でもなく藍でもなく、緑でもなく、紺でもなく、白でもなく。
その全部をひっくるめたあの色がいい。
もうひとつ選べるなら、「太陽が傾いて地面に吸い込まれるまでの夕焼けの全時間の空色」が好き。
オレンジでもなく、黄色でもなく、青でもなく、紫でもなく、灰色でもなく、黒でもなく。
そのごちゃごちゃな毎日違うあの色がいい。
あの色の名前なんか、知らなくてもかまわない。
だって伝えられっこないんだもの、本当の色なんて。
カラフル
そんなわたしが、こどもを産みました。
同じ感性を持った主人とともに「宇宙から見た地球の色」と「太陽が傾いて地面に吸い込まれるまでの夕焼けの全時間の空色」から考えた名前を持つ二人のこどもです。
そして、カラフルという名前でこのブログを書いています。
何の因果なんだろう。
好きな色すら答えられないくせに、世界中の色が愛しいからでしょうか。
梅雨の季節は、街の色をとても鮮やかに変化させます。
雨に打たれた葉、あじさいの花の変化、昨日と今日で違うさなぎの色、雨上がり。
0歳の娘を抱っこ紐で前に抱きながら歩く道で、見つけるキラキラした色が楽しみです。
いつもにも増して、とりとめのない自分語りになってしまい申し訳ありません。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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